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第8号 難民の第三国定住 Third Country Resettlement of Refugees

山本 哲史(東京大学特任准教授)

本国にいることのできないやむを得ない事情、これが難民問題の根底にあります。
これに取り組まないことには問題解決などあり得ないのではないか、そう考えるのが自然でしょう。
しかし現在に至るまで、国際社会はこの問題を避けてきたというべきか、触れることがありませんでした。
このため現在の難民保護は「亡命偏重(exilic bias)」であると断じる人がいるのも無理はありません。
亡命偏重の難民保護とは、このように難民保護において受け入れ国における難民の扱いのみに着目し、流出国を問題の外側におくことを意味しています。

 この点、スイスのジュネーヴに本拠を置く国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、その基本文書(組織の憲法のようなもの)であるUNHCR規程の第 1条において、「難民の自発的帰還または新たな国の社会への統合を促進しようとする政府の支援や、そのような政府による許可を得た上で民間団体を支援する ことを通じて、難民の問題にとっての恒久的解決(permanent solutions)を模索する」ことになっています。
要するに、(1)難民の自発的帰還、および、(2)本国外における統合(定住)を、難民保護の終着点としているわけです。
流出国に働きかけてどうこうしようという規定は見られません。
逆に、流出国の政治状況に関与してはならないことを暗に示すものとして「UNHCRの職務は完全に非政治な性質」との言及があります(同2条)。
また、1951年の難民の地位に関する条約(いわゆる難民条約)には難民の地位が終了する要件を定めた規定(終止条項)があり、その中の一つに「迫害をう けるおそれがあるという恐怖を有するため、定住していた国を離れ又は定住していた国の外にとどまっていたが、当該定住していた国に再び任意に定住するにい たった場合」というのがあります(同1条Cの4)。
ここでもまた、流出国の問題は蚊帳の外です。

 なぜ現在の難民保護は亡命偏重なのか。
このことを批判的に指摘する論文には、1950年当時の欧州における東西対立の先鋭化からついには冷戦へと至る過程の中で、難民条約は西側諸国が東側諸国 の政治体制を非難するための材料として起草されたという経緯をもちだし、難民問題を本質的に解決すること自体、そもそも志向されていなかったのだと見るも のもあります。
難民を保護すればするほど、その流出国の政治体制に問題があることが世間に周知されることを狙った制度構築であったため、亡命偏重となってむしろ当然だ、というわけです。

 今や東西冷戦は過去のものとなり、現在の国際社会は国家間紛争よりも内戦や民族間の緊張を軸にした対立構造を抱えるようになりました。
そのため難民条約自体、時代遅れのものとなってしまった感があります。
21世紀に入ってから、UNHCRが主導する形で難民保護の世界的な見直しをはかる「世界協議(Global Consultations)」というイベントが仕掛けられ、各国代表のみならず各種専門家やNGOなどからも多くの人が参加し、世界各地で各種パネルが 開催されるということがありました。
しかしそこでの結論もまた、結局のところ難民条約を書き換えるまでの合意形成には未だ至ってはいない、というものでした。
もっとも、特に紛争後社会における平和構築と難民保護との連関を模索する動きは、徐々にではありますが見受けられるようになってきています。
しかし結局のところ、難民保護は依然として亡命偏重なのです。そんななか、難民キャンプに匿われたまま、流出国の状況改善につながるような働きかけは行わ れずいたずらに時間だけが過ぎてゆく「長期化する難民状態(protracted refugee situation)」が注目されています。
定義は確立していませんが、UNHCRによると、単に長期の難民生活自体が問題というより、「命の危険はないものの、保護されたのち数年経ってもなお、基本的人権ならびに経済的、社会的、および心理的な基本的要素が満たされていない」ことが問題視されています。
難民の再定住制度はそうした人々に新天地での生活の機会を提供するものとして、現在までに世界20カ国が他国の難民キャンプからの難民受け入れを実施しています。
年間数万人を受け入れるアメリカを筆頭に、受け入れ数は様々ですが、いずれも難民が新たな生活に馴染むことのできるよう、言語教育や職業訓練をはじめとする定住促進制度を用意しています。

 日本においても2010年度に試験運用を開始し、これまで毎年約30名、約5家族をタイの難民キャンプから招いてきましたが、驚くべきことに、いや、むしろやはりというべきか、3年目にあたる2012年度の希望者が、なんとゼロになってしまったのです。
この話はなかなか奥が深く、様々な視点からの議論が必要になります。
まずはニュース記事を調べてみてください。CDRの発行する研究ジャーナルCDRQでもこの問題を継続的にレポートしています。
http://cdr.c.u-tokyo.ac.jp/


 
伊藤塾塾便り206号/HUMAN SECURITYニュース(第8号 2012年10月発行)より掲載